お知らせ

四賢侯シンポジウムを開催しました

歴史学者や四賢侯の出身県の研究者をお招きし、下記のとおりシンポジウムを開催しました。幕末の四賢侯と呼ばれた福井藩主・松平春嶽、薩摩藩主・島津斉彬、土佐藩主・山内容堂、宇和島藩主・伊達宗城。4県の研究者が集い、四賢侯の先見性や構想、交流と絆、歴史的役割等について語っていただきました。
 

1.日時:平成30年9月23日(日・祝) 13:30~15:30

2.場所:ハピリンホール

3.講演:
◆基調講演『四賢侯 松平春嶽の役割』
・講師:大石 学(東京学芸大学教授)
◆シンポジウム『四賢侯の交流と絆、歴史的役割』
・コーディネーター:大石 学(東京学芸大学教授)
・パネラー:
田中伸卓(福井市教育委員会文化財保護課主幹)
佐藤宏之(鹿児島大学学術研究院准教授)
藤田雅子(高知県立高知城歴史博物館学芸課長)
胡光(愛媛大学法文学部教授)

4.参加者:240人

5.主催:幕末明治福井150年博実行委員会

6.内容:
・佐幕派と倒幕派があり、その中間に、四賢侯ら公武合体派があった。四賢侯が政治を担っていたら、流す血の少ない近代化ができたかもしれない。
・四賢侯の中心に松平春嶽がいた。春嶽は人の意見をよく聞き、考えを変えていけた。誠実で真面目な人物だった。
・島津斉彬の意思である公武合体や挙国一致が、薩摩の幕政への関わり方の根底にあった。島津久光は伊達宗城とは親和的だった。
・山内容堂は、春嶽が政事総裁職に任命された時、春嶽の手足となって公武合体のため力を尽くした。また、春嶽を慕っていて、お酒が飲めない春嶽を、手紙の中で「下戸先生」とあだ名で呼ぶなど心を許す仲であった。
・伊達宗城は、春嶽が藩主になったとき、藩主の心得や江戸城での作法を教えた。春嶽と関係が深く、1,000通以上の書状が残っている。
・立場の違う両者を巻き込み、平和的な解決策を探る四賢侯の構想は、現在の世界の緊張関係を見ると、大いに学ぶべき点がある。今回が四賢侯をさらに研究する第一歩になれば。

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